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王羲之(おうぎし)の生きた時代

おはようございます。

ご覧になってくださり、
ありがとうございます。

美術館や博物館で、
書の作品って、
どこが面白いんだろう、、
と思ったことはございませんか?

わたしも、
思いました。

でも、
ちょっと、
歴史的な背景を知るだけで、
見るのが楽しくなるのが、
書道の作品だと知りました。

この楽しさを
より多くの方と共有できたらと思い、

書道の作品を見ることが
楽しくなるヒントを
掲載してゆきたいと思っております。

力不足な点も多々あるかと思いますが、
どうぞ、よろしくお願いいたします。

そして、
皆様の心に
何か暖かいものが残ることを祈りつつ。。。

clover clover clover clover clover clover clover clover clover

過去のブログ「本物か偽物か」で、王羲之の『蘭亭序』について少し書かせていただきました。

今回は、王羲之(303-361、東晋)の生きた時代についてです。

ところで、

有名な『蘭亭序』は、飲み会の時にできた詩集の序(はじめに)です。

晴れた日に、罰ゲームをしたんです。

庭の小川のほとりで、みんなで詩を作って、

詩が制限時間内にできなかった人が、

お酒を飲み干す、

というゲームです。

真っ昼間から、

飲み会やって、

しかも優雅に詩を作る。

なんて、平和でのどかな時代だろうshine

と思いませんか?

しかし、

王羲之の生きた時代は、

そんなに平和な時代ではなかったんです。

王羲之の尺牘(友人への手紙)で

『喪乱帖』というのがあります。

これは、実は、北方民族に奪われた故郷の地(山東半島の近く)を想い、
嘆きの気持ちを書いた手紙なんです。

王羲之は、北方民族に追われて、上海の近くの会稽というところにいました。

しかし、
北の故郷には、先祖の墓を残してきています。

そのお墓が、北方民族に荒らされてるんじゃないかと
気が気でないことを表現しているのです。

王羲之の別名は、王右軍(おうゆうぐん)。

軍隊の長です。

軍隊の長なんだから、さっさと軍を出動させて、

奪われた北の故郷を、
北方民族から、すぐにでも奪い返せばいいじゃないかsign03

と言いたいところですが、、、、

弱体化した軍隊に、そんな力はなく、

悔しい、

もどかしい、

こんな思いで、日々過ごしていたんじゃないかと思われます。

この気持について、吉川忠夫先生は、次のようにたとえています。

「聖地パレスチナの奪還をめざした十字軍運動にもにるであろうか。」

※吉川 忠夫『王羲之 六朝貴族の世界 』清水新書 (017)(清水書院1984)72ページ

ところで、

王羲之の作品は、

しなやかな細いひらひらとした線と、

太くて、力強く何かをとらえるような動きのある線と、

一見両極にあるようなものが共存しています。

しなやかに、そして、力強く、

心の葛藤を抱えていたからこそ、

深みのある作品を残すことができたのかもしれません。

bud bud bud bud bud bud 

さいごに

一見、マイナス要素になることが、

むしろプラスに働くこと、

よくあるんじゃないかと思います。

つまり、この時代だったからこそ、

葛藤に心を悩まされた時代だったからこそ、

精神性の要求される書道において、

深い表現力を養うことができ、

王羲之のような天才が育ったのではないかと考えられます。

現在は、不景気で先行きの不安な時代です。

不景気だからこそ、

自分本来の力が試される。

自分の限界を超えて、成長したいという気持ちが強くなる。

この不景気をバネに、

自分の中の何かを、力強く育ててゆきたいですね。

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